はじめまして。
愛と光にあふれる人生に導くカウンセラーの星奈 美月です。
私は、カサンドラ症候群、アダルトチルドレン、自己肯定感の低さ、HSP、愛着障害、回避依存、恋愛依存症、人間関係・日常生活での言葉にできない不安感やイライラなどを抱きやすい人に向けてカウンセリングをしています。
生きていく上で自分への自己評価、対人関係能力や周りとの調和を保つ能力は一生無関係ではいらられません。
でしたら少しでも、自分の内側から放つ幸せなマインドを整えて、日常の不安・イライラ、人間不信、気分が落ちやすい、毎日に活力が感じられないなどのマイナスな感情と上手にお付き合い、自己対話しながら心地良く生きていける心のゆとりやスペースを一緒に作り上げていきませんか??
【短いプロフィール】
1981年生まれ 秋田市出身。
機能不全家族(AC)の中で育ち、秀才な兄への劣等感を抱きながら親や周囲の顔色を常に伺いながら、”良い子”でいようと必死に過ごしていました。
根底に人間不信がありながら、それでも誰かに愛されたいと願う気持ちから、自分の意思を後回しに押し殺して生きる癖が身に付いていきました。
「自己肯定感の低さ」や、「ネガティブ思考」から対人関係へのストレスが強く、過敏性腸炎や気管支喘息、不眠症などを多発していきます。
恋愛など、常に何かに依存しつつ自分自身の存在意義と愛を誰かの中に、そしてカタチあるものに求め続けるけれど、満たされない現状に心は常に寂しさと孤独感の中にありました。
友人、家族、夫婦、職場の全てにおいて本当の自分を出せない生き方を続けていきます。
自分で自分を許せない、愛せない生き方に常に心が枯渇する人生でした。
40歳を過ぎた頃、転機が訪れ心理学を学び始め「自己受容」の大切さを知りました。
そこから他人軸から自分軸、自分を愛する生き方へと変容していきます。
人生の第二章が幕を開けました。
現在は、過去の自分のように「自分を愛せない」、「生きづらさを抱えている人」たちへと寄り添い光を与える、癒しのカウンセリングを提供しています。
詳しいプロフィールは下記をご覧ください
見えない敵と常に戦っていた苦しかった幼少期〜10代
私は、一歳年上の秀才の兄と、不仲で厳格な両親との4人家族でした。
親の怒号が響き渡る家庭の中で育った私は、本当の自分の弱さを殺し、少しでも手のかからない良い子の自分を演じる為に日々心を使っていました。
そして相手に嫌われないように、周りの調和が保たれるように、常に周りにばかり意識を集中して、自分の気持ちは置き去りに。
心はたくさんの赤信号を発信していても、私はそこを見ないフリ。
大丈夫なフリをしていました。
子供の頃から親の無条件の愛に無意識に飢えていた私は、学生時代は中高6年間ずっと、体育会系の厳しい部活で毎日身体を必死に鍛え上げました。
名高い試合に出場しメダル・トロフィーという目に見える結果を残すことで、親に認められたい、褒めて欲しいと歯を食いしばり苦しい練習にも耐え続けていたのです。
その結果、関東大会やインターハイなどに出場することができましたが、常に自分に負荷を課す生活に、休みたくても休めない、弱音を吐けない環境で心と身体のどちらの逃げ場も既に失っていました。
寂しさから常に心が枯渇 〜恋愛依存に陥った20代〜
部活生活から解放され、やっと時間と身体共に自由になれたのは大学に入ってからでした。
20歳を過ぎる頃からは、心の枯渇で愛に飢え続けた私は、次は恋愛にひたすら依存し始めました。
誰かに守られたい、愛されたい、必要とされたい、認めて欲しい。
人に必要とされることで、自分の生きている価値を知り安心したい。
幸せを感じ取りたい。
その為、相手の一喜一憂に常にビクビクと反応しては機嫌をとり、とにかく嫌われない為にと必死だったので、心はいつも無意識に緊張感に覆われていました。
そして、、本心が言えない、例え納得がいかないような嫌なことでも相手に合わせる日々。
相手に気に入られる自分になる為、趣味も生活も服装もメイクも、まるでカメレオンのように変容させ、相手色に染まることで愛される喜びと相手に尽くす喜びを感じきろうと必死に生きていまし
た。
そして、私という存在意義を、常に誰かの心の中に求め続ける日々が続きました。
けれど、誰とどれだけ恋愛をしても、誰かにどれだけ尽くしても、この心のモヤモヤは解消されず・・・いつしか耐えられない心の寂しさと苦しみ、相手への不信感や心のSOSから自ら関係を解消。
何人もの人と付き合っては自分から別れてを繰り返す日々。
そして自己嫌悪、自己否定。
どこまでも満たされない心を、誰かに愛されることで埋めようとひたすら恋愛に依存していく日々。
そして、その悪循環な恋愛の流れを何度も何度も、私は必死にしがみ付くように繰り返し続けました。
いつかはきっと、私にも素敵な王子様が現れるはず!
今思えば、この異様とも言える恋愛と結婚に対する強い執着は、母から植え付けれた呪縛の言葉
【女性は結婚すると不幸になるからやめなさい!!】
が心に張り付いていてこの言葉を認めたくない!私だけは違う!という必死な抵抗の思いから起こるものだったのかもしれません。
社会に出て突然の挫折 〜苦しみからさらなる恋愛依存へ〜
22歳で初めて働いた会社では、突然人間関係の壁へとぶつかりました。
たった4人の部署の中で部長の威圧、上司のいじめ、仕事量の多さと責任の重さに以上なまでのプレッシャーに追われる毎日。休みにくい環境。
心も身体もすぐに限界を感じ、急性胃腸炎を何度も起こしてはなんとかやり過ごし病院通いの日々。
それでもまた働いて、弱音も吐けず心身共に崩れていく。
我慢が美徳。努力が結果を生む。部活時代に培われた根性が、弱音を吐けない形でここに悪循環という形で現れてしまったのかもしれません。
職場での会話も、何を言ったら相手を嫌な気持ちにしないか?怒られないかを常に第一にし、何を話したら自分を好きでいてくれるかばかりを無意識に優先。
その為、人といるとすぐにエネルギー切れとなり、無理をしているから心も体も常に疲弊。
警戒心も強く、本心はなかなか人に話せず、誰かに甘えたり頼ったりできず、人を心から信用もできない。心も開けない。
でも表面上は平気なフリをして笑顔で社交的。
私は、誰といても常に最善を考え感情で会話をするよりも、頭で会話をしていました。
苦しい。もう仕事に行きたくない。でも、休む勇気もない。
心の不安と辛さからまたさらに恋愛への依存度が上がる。
相手に執着する恋愛、自己が消えていく日々。
相手に必要とされる恋愛を求めてばかりいる私は、相手にとって都合の良い女になりやすく、浮気や不倫、極度に依存する人、ストーカーになる人、サイコパスな人など決して良い恋愛相手とは言えない人にばかり好かれていた気がします。
母との確執 〜反面教師として母の生き方を否定する日々〜
私が恋愛に依存するようになった背景には、心の中の大きな孤独が大きく影響していたのかもしれません。
私の母は、父との不仲だけに留まらず、人間関係を良好に保つことがとても苦手でした。
私が小学校5年生の時に起きた祖母の急死をきっかけとし、実父・実弟とも関係が悪化。
そのまま縁を切り母方の親戚一同との関係を絶っていました。
また、父方の親戚とも折り合いが合わず、そちらも絶縁。
母の周りからはどんどんと人が疎遠になり、関わる人が減っていく日々。
母にとっては、人間関係の悪化は全て相手が悪いという視点が基本だったので、その怒りや愚痴を私にひたすらぶつけて、ストレスを発散し続けていました。
父とも、親戚とも、友人とも関わりがない母は、唯一そばにいる私にひたすら依存していたんだと思います。
心が常に不安定でいて、側から見ても常に何かに心が振り回されているような、子供の私から見ても寂しい、満たされない生き方をしているような人でした。
そして、周りの家族は常に振り回されていました。
私はああいう生き方だけはしたくない。もっと幸せな結婚をして、幸せな人生を見せていく!
でも同時に、とても料理上手で機嫌の良い時はとても優しく、真っ直ぐ笑顔を向けてくれる母も同時に存在していたのです。
なので、私にとって母という存在は、憧れでもあり、反面教師のような存在でもありました。
母親という存在でありながらも、幼い頃から私にとっては一番に支えないといけない存在であり、でも一番に笑顔を見せてほしい相手、愛を与えて欲しい大好きな相手でした。
そんな母を私だけは絶対に見捨ててはいけない!私だけはしっかり大切にしてあげないと!という使命感のような気持ちと、とても窮屈で逃げ出したい気持ちの相反する気持ちが常に心の中に存在し、苦しんでいました。
そして、父と母は10年前に正式に離婚。
今も2人のコミュニケーションを繋ぐ役目を私は続けていて、家族のバランスを取り続けている状況です。
ついに王子様と結婚! 〜幸せになれると信じた幻想の日々の始まり〜
27歳の時、趣味のサークル内で理想的だと思える相手と出会い、電撃結婚!!(交際半年未満)
今まで出会った誰よりも、優しくて物静かでとても堅実で知的。この人が私の王子様だったんだ!
厳格で世間体を気にする親にさえも、一発でOKをもらえるような世間でいう勝ち組と呼べる条件の相手でした。
私はこれで、人生勝ち組に入れた!これで本当の幸せになれるんだ!
と心から喜んだのを覚えています。
そして、このタイミングで仕事も寿退社をしました。
ここからはやっと、愛し愛される日々が待っている。
普通の幸せを私はやっと手に入れたんだ!そう思いました。
結婚をして、可愛い子供がいて、マイホームがあって、夫も仕事ができる人。
人生に必要な条件が全て揃ったのだから私の幸せはもう約束されている!
心からそうなれると信じた日々が始まりました。
幸せな結婚生活からの夢の崩壊 〜自己否定と恐れ〜
しかし、その日々も子供が生まれる頃から陰りだしました。
夫婦の価値観や、物の捉えかた、感じ方、子育てへの方針、人生のビジョン、お金の使い方。
あらゆる面でズレが生じ始め、その時点では本当はもうガタガタと関係性にヒビが入っていましたが、ずっと怖くて見ないフリをしていました。
けれど、相手は自分の意見が一番正しいと主張。
私は自己否定型なので、違和感があっても相手の意見に従うばかり、その繰り返しの日々。
夫には、本当はもっと伝えたい言葉があっても怖くて言えない、嫌われたくない。
私よりも相手の方が頭も良いし常に正しいんだ。
反論なんてしてはいけない。
夫に対しては、稼いでもらっているのだから専業主婦の私はとにかく感謝しないと。
2人の子供が生まれてから、ワンオペの日々が続き精神的にも肉体的にも限界でしたが、仕事が多忙な夫に弱音を吐くことすらできませんでした。
意見なんてしてはいけない、良い妻でいないと。
子供にとって良い母でいないと。
私は勝手に、良い存在でいないといけないという鎖に縛られ、どんどんと心を殺していく日々。
苦手な家事も、苦手な料理も、子育てに泣き出したような日々も、全てできることが当たり前。
苦手な自分がダメな自分、全部それは自分が未熟だから。
私がいけないから。私の頑張りが足りないから。 ○○すべき 、 ○○であるべき 。
そうしないと嫌われてしまう。
周りにとっての理想的な自分像を作り上げることが、唯一愛される方法であり、それがあるべき自分の姿だと強く思い込んでいました。
そして、できない自分がダメな自分。愛されないと決めつけていたんです。
だから、愛される自分であり続ける為には、相手の望む自分であり続けないといけない。
今の自分のままでは愛されない。
もっと愛されるように変わらなければいけない。
そうもがいていました。
夫の機嫌を損ねることが怖い 〜本心を隠す毎日〜
そんな私も、あまりの苦しさに夫に愚痴と弱音を吐いてしまったことがありました。
私にとっては、本当に勇気を出して伝えた心の叫びでもありました。
ただ、その時の夫の反応は否定的でした。
気にする私がいけない、気にしなければいい。
痛みに寄り添ってくれるのではなく、私が望まないような突き放した回答をくれるだけでした。
また、2人目の出産を前にして私が希望する本心を告げたことに対して、夫は声を荒げて否定的な意見を述べることがありました。
夫はとても堅実的な人なので、お金に対してとてもシビアな性格です。
なので、出産含めて子育て全般において、また私に対してなど彼が望む以上にお金をかけることなどは彼にとっては納得いかなかったのでしょう。
物を投げつけ、大きな声で否定された私は、もう自分の全てが否定された気分と怖さと悲しさを感じ、この場からいなくなってしまいたいという自己否定の感情が一気に湧き上がりました。
そこからは私の心はさらに貝のように閉じ始めました。
伝えたことで不機嫌になられたり、否定される方が苦しいから、もう言えない。
我慢しないと。
例え望んていなくても、言われた通りにしないと怒られてしまう。
厳格だった父に昔よく怒鳴られた記憶がフラッシュバックすることで、さらに恐怖が増す。
男の人は怖い。従っていないと怒られる。
でも、寂しさと苦しさと行き場のない悲しみで心がいつもモヤモヤする、満たされない。
その解決できない思いとイライラが心に静かに蓄積されていきました。
いつしか、洋服を買ったり、物を買うことでストレスを発散するようになり、さらに夫に対しての罪悪感と恐怖が増すばかり。
こんなこと知られたら怒鳴られる。
お金に対しての夫の執着がとても強いことを感じていた私は、どんどんと心も物質面も共に苦しさを強いられていきました。
けれど、誰にも頼れない、甘えられない。
一人で抱える日々。
なので、下の子供が幼稚園に入ると同時にパートを始めて、なんとか心の平穏とささやかでも収入を保とうと必死でした。
でも、子育てとの両立はとても大変なものでした。
そして私の心の中では、苦しみと共にいつしか表には出せないイライラが募り始め、ママ友に会っては夫への不満を話す日々。
周りのママ友から同情されること、共感されることで一瞬は心が満たされた気にはなりますが、また家に帰ると心が落ちて行く。
毎日その繰り返しでした。
ソウルメイトとの出会い 〜強制的に自分と向き合う時間に突入〜
そして、その限界がある時訪れました。
イライラと悲しみの心に蓋をしたまま仮面の自分で結婚生活を14年以上過ごしていたある日。
ありのままの自分の心を解放してくれる人(ソウルメイト)との出会いがありました。
その人は自分に真っ直ぐに生きている人でした。
私とは真逆だ、そう感じました。
そして、憧れました。
その人のように自分らしく自由に生きたい、心を開きたい。
マイナスな感情もプラスな感情も、相手が真っ直ぐ本心で私にぶつかってきてくれるので、私も自然と本心で話すことができました。
初めての体験でした。
本心を見せられるって、なんて嬉しいことなんだろう!!楽しいことなんだろう!
私は、その喜びをとても強く感じて、心が解放されたように軽くなりました。
本当の私がわからない 〜葛藤の毎日・苦しい日々〜
心を開いて話せる相手が得られるようになった私は、逆に毎日がより苦しくなり始めました。
家庭にいて、今までの嘘の自分、自己犠牲の自分でいることに窮屈さを感じ始めたのです。
妻であり母である私が自分のことを優先して生きてはいけない。
今までもずっと、それが当たり前だと言い聞かせて諦めて生きてきました。
でも一度、今まで疑問にも思わなかったその心の違和感に気がついてしまうと、その思考は止められませんでした。
私は今、本当は全然幸せだと思えていないんじゃないか?
我慢ばかりしているんじゃないか?
結婚してからの私は、夫の与えてくれる物質面の豊かさに感謝し、これが女性の幸せなんだと思い込んでいました。
だから、これ以上何か望むのは贅沢でしかない。
その考えを疑わずに生きてきました。
でも、私が本当に望む世界とは心の愛に溢れたものではなかったの?
私が子供の頃から求めていたものは、お金や家やものではなくて、心から愛し愛されるような、心から自分が満たされる穏やかな時間を過ごすことじゃなかったの?
私は、本心と現実とのあまりの乖離に、涙が出て止まらない日々がここから始まりました。
小さな心の疑問が湧き上がってからは、夫との嘘の仮面で向き合っている自分が、とにかく苦しくて、辛くなりました。
私はこうして一生、自分を殺してここで生きていくの?
本心を隠して、平静を装って、私が我慢すれば成り立つ日常。
それで私は本当に幸せなの?
でも、、、どうしたらいいの??
夫婦関係の崩壊 〜相手を心の中で責める日々〜
現実が望むものと違うと感じた私は、夫への愛情が一気にマイナスな感情へと移行していきました。
「この人が悪い。私をわかってくれていない。自分勝手だ。」
私の気持ちが、夫への敵意のような冷たい感情に変わると共に、夫婦での会話がさらに減るようになりました。
その空気を感じてか、夫もどこか様子を伺うようになり、心の距離を明らかに感じる時間が増えていきました。
どんどんとギクシャクする家庭内。
この時の私は、夫との壁を作ることが、一番自分を守れる正しい方法だと思って必死に自分をトゲの鎧で囲っていました。
けれど、私が求める本当の幸せは心から愛される愛のある日々。
なのに真逆なことをしている自分。。
常に心は冷たく満たされず、お互いを邪険にするような関係に、私はこの人といるから幸せではないんだ!という一方的な負の感情を抱き悲しくなる日々と後悔。
関係性が悪いので、意思の疎通もうまくいかず、夫もイライラすることがより増える日々。
そして、その怖さにさらに身を縮めて何も言えずに離れるだけの私。
「こんな人生が死ぬまで続くのは嫌だ。抜け出したい。」
でも、離婚をする勇気もお金もない。子供も小さい。幸せになる方法がわからない。
毎日一人で陰で泣いては、本当の自分なんて誰もわかってくれない。
そして、こんな私だから愛されないんだ、もう幸せなんて来ないんだと悲観しては、殻に閉じこもり続けました。
そして、そのストレスは身体にも現れ、気管支喘息を発症しました。
心理学との出会い 〜自己受容の気付き〜
その苦しみのある日、ソウルメイトから
「自分の人生、もっと自分の為に生きた方がいいですよ」と言われました。
私はこの言葉を聞いて、自分の人生、自分の為という言葉に心が大きく動いた気がしました。
そこからは、どうしたらこの苦しみから抜け出せるのか?ということを考えるようになりました。
本、YouTube、テレビ、占い、量子力学、スピリチュアル、心理学、カードリーディングなど
様々な情報や人の意見を得ながらも、ひたすら心が楽になる解決策を求めようと動き出しました。
もがいてもがいて、、、泣いて堕ちて。
自分を内観する日々が半年以上続きました。
そして最終的に行き着いた答えが、心理学を学び始めたことでついに見つかったのです。
その行き着いた答えがこそが【自己受容(母性愛)】 でした。
本当は、周りの誰かに愛して幸せにしてもらうことよりも、自分が自分をありのまま愛してあげること。
私は今までこれが全くできていなかったんです。
少し前までの自分は、幸せや愛を外にばかり求めていましたが、本当の幸せは自分の心の中にある。
そう気が付くことができた瞬間、世界が180度変わったような気がしました。
幼少期から始まって、家族関係、友人関係、職場関係、夫婦関係、ママ友関係、親子関係
全てにおいて自分を出せない、常に心からの幸せを得られない。
誰にも心から愛されている気がしない、自分も誰かを心から愛せない。
でも、本当の自分を一番信頼してあげていないのは、実は自分だったのかもしれません。
幸せになりたいはずが、自分を押し殺して、自分を否定して、自分を罵って。
人に嫌われないように、枠からはみ出ないように、自分に対して誰よりも厳しくジャッジをする。
そして、相手の幸せにばかりフォーカスすることで、自分の心はいつまでも満たされない現実。
今の自分をそのまま、ありのまま愛してあげる優しい大きな世界を初めて知りました。
そこからは少しずつでも、自分の気持ちに向き合い、小さなことでも大切にしてあげる時間を徐々に増やしていきました。
意識的に気をつけないと、すぐに自分を殺してしまう私は、自分の心に問いかけて選択をするように心がけていきました。
私は苦しみながらも、少しずつ時間をかけて他人軸から自分軸へと移行。
自分が変わった瞬間、もう自分を偽っては生きられない自分へと変革されました。
ここからはもう、私は自分らしく生きていきたい!!人生は一度きりしかないんだ!
カウンセラーという道 〜過去の自分を救いたい〜
私らしさを取り戻した今、夫に自分の胸のうちを全て打ち明けました。
今まで苦しかったこと、言えずにいたこと、不満に思っていたこと、悲しかったこと、
そして、この夫婦関係にもう希望を持っていないこと。離れたいこと。
今までずっと大人しかった私から発せられた予想もしない言葉に、夫は驚きと共に怒りの感情さえも生まれていました。
これは私にとって40歳を過ぎてから起きた、人生初の反抗期とも言えるかもしれません。
私は今、自分という存在を一番に大切にした上で、人と大切に生きていきたい。
物事を捉えるベースが、人から自分にシフトし始めました。
私は今、人生の第二章が始まったばかりです。
現在私は別の部屋を借りプチ別居生活を開始しています。
私が自分の意思で初めて起こし勝ち得た、とても大きな行動です。
今が人生で一番楽しく、自由に自分らしく生きられています。
そして一番の変化が、今まで以上に周りの人や出来事に感謝できる自分へと変わりました。
それと同時に、私はカウンセラーという新しいお仕事の扉をも開きました。
自分の経験から、心理学を本格的に学びこうして提供できるようになりました。
1人でもがき気持ちが落ち着くまでには、泣いてばかりの辛く苦しい日々が長く長く地獄のように続きました。
だからこそ、今苦しんでいる人達に手を差し伸べたい。
1人だと答えを導き出すこと、気持ちに寄り添うことに時間がかかり迷うことも、一緒に考えてくれる人がいるととても心強い。
そして、勇気のある未来を願い選択し、叶えることができるようになります。
私は、自分の人生を見つめ直した段階で、過去の自分を救いにいくためにも、カウンセラーという仕事を天職に変えていきたいと願いました。
私は現在、カサンドラ症候群、アダルトチルドレン、自己肯定感の低さ、HSP、愛着障害、回避依存、恋愛依存症、人間関係・日常生活での言葉にできない不安感やイライラなどで苦しんでいる人を、ここから愛と光があふれる人生へと導くためのカウンセリングをしています。
人は変わりたいと思った瞬間から、何歳からでも世界を変えられます。
心が変われば、見え方も感じ方も変わります。
幸せマインドを整えて自分らしい人生を引き寄せる法則
をそれぞれのお悩みにそってお教えいたします。
ここから、私と一緒に明るい未来を叶えていきませんか??